内容(「BOOK」データベースより)
本書は、昭和八年八月、浜寺海岸で開催された『夏期心霊講習実験会』のために特に著者が執筆した稿本に基づいて、これに徹底的修正増補を加えて最近脱稿したものである。
内容(「MARC」データベースより)
近代心霊研究の父、浅野和三郎の全研究のエキスをまとめ、近代心霊研究からどのようにしてスピリチュアリズムが生まれてきたか、その歩みを示す。88年コスモ・テン・パブリケーション
刊の再刊。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
浅野 和三郎
明治7年茨城県稲敷郡で生。旧
制一高、東京帝大英文科卒(指導教授は小泉八雲)。明治33年海軍機関学校教授。明治期の第一級英文学者として活動。名訳「スケッチブック」(明34)、日本最初のシェークスピア完訳「沙翁全集」(明38~42)、「英文学史」(明40)など。大正4年、三男(三郎)の原因不明の病気が祈祷師の予言・透視・祈祷で奇跡的に治癒したことから心霊問題に関心。霊魂研究は人間の一大課題と感じ、霊魂研究を決断。大正5年海軍機関学校を退転(後任教授は芥川龍之介)。当時日本で霊魂の実践探究のメッカ大本教の綾部
に移住。出口王仁三郎の右腕となり、たちまち
大本教を隆盛に導き、他方一万人以上の鎮魂帰神指導をして後の心霊研究の貴重な体験と資料を得る。大正10年第一次大本事件で大本教を離脱。以後西欧の心霊科学の研究と付植に全力を捧げる。大正12年、東京に「心霊科学研究会」を創立。月刊誌「心霊研究」の発行。昭和3年「第3回国際スピリチュアリスト大会」に日本代表で出席。帰途ボストンで霊媒マージャリーを実験し幽霊の指紋を得る。昭和12年没(63歳)
熊谷 えり子
武蔵大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在自然音楽セラピストとして活動中。自然音楽研究所副所長。月刊「リラ自然音楽」編集。「でくのぼう宮沢賢治の会」代表
桑原 啓善
詩人、心霊研究家、自然音楽療法研究家。不可知論者であった学生時代に、心霊研究の迷信を叩こうとして心霊研究に入り、逆にその正しさを知ってスピリチュアリストになる。浅野和三郎氏創立の「心霊科学研究会」にあってその主幹脇長生氏の門で心霊研究三十年。氏の没後「生命の樹」を創立しでくのぼう革命
を遂行。現在は「自然音楽研究所」で山波言太郎のペンネームで地球と地球人の癒しの事業に参加活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
明治7年茨城県稲敷郡で生。旧
熊谷 えり子
武蔵大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在自然音楽セラピストとして活動中。自然音楽研究所副所長。月刊「リラ自然音楽」編集。「でくのぼう宮沢賢治の会」代表
桑原 啓善
詩人、心霊研究家、自然音楽療法研究家。不可知論者であった学生時代に、心霊研究の迷信を叩こうとして心霊研究に入り、逆にその正しさを知ってスピリチュアリストになる。浅野和三郎氏創立の「心霊科学研究会」にあってその主幹脇長生氏の門で心霊研究三十年。氏の没後「生命の樹」を創立しでくのぼう革命